フェリーとトラックの歴史を解説|長距離輸送とトレーラー無人航送の発展

フェリー × トラック物流史

トラックはなぜ海を走るようになったのか?

戦後の鉄道貨物と沿岸海運から、長距離フェリー、トレーラーの無人航送まで。 道路と海上輸送がどのように結び付いてきたのかを、物流実務の視点からたどります。

夜の港に、大型の単車トラックやトレーラー連結車が次々と集まってくる。誘導員の合図に従って車両が船内へ進み、巨大なフェリーの中へ吸い込まれていく。やがて船尾のランプウェイが閉じられると、船は静かに岸壁を離れる。

翌朝、あるいは翌日の夜。何百キロも離れた港から、トラックやトレーラーが再び道路へ走り出す。

現在では珍しくない光景だが、道路を走る貨物自動車を、なぜわざわざ船に載せるのだろうか。その背景には、高度経済成長による輸送量の増加、道路網の整備、長距離運行のコスト、ドライバーの労働時間、そしてトラクターとトレーラーを切り離せる構造がある。

この記事で分かること
  • 戦後の日本でトラック輸送が拡大した背景
  • 長距離フェリーが物流インフラとして発達した理由
  • 単車トラックとトレーラー連結車の違い
  • 有人航送と無人航送の仕組み
  • フェリーとRORO船の違い
  • 2024年問題と海上輸送の関係

まずは年表で見るフェリーとトラック物流の歴史

フェリーとトラックの関係は、ある時点で突然始まったものではない。戦後の鉄道貨物と沿岸海運、トラック輸送の拡大、長距離フェリーの登場、トレーラーを活用した無人航送へと、輸送方式は段階的に変化してきた。

年代・年 主な出来事 トラック物流との関係
戦後直後 鉄道貨物と沿岸海運が長距離輸送の中心となる 道路や貨物自動車の輸送力が十分ではなく、大量貨物は貨車や船舶が担った
1950年代後半 高度経済成長が始まり、工業製品や生活物資の輸送量が増加 荷主から納品先まで直接運べるトラック輸送の重要性が高まった
1960年代 海峡や湾内を結ぶカーフェリーが各地で普及 自動車を船に載せ、島や海峡を越える輸送が広がった
1968年8月 阪九フェリーが神戸・魚崎―北九州・小倉航路を開設 日本初の長距離大型カーフェリー航路とされ、トラックを長距離区間ごと海上輸送する形が本格化した
1970年代 北海道・関東・関西・四国・九州を結ぶ長距離フェリー航路が拡大 トラック輸送量の増加、道路混雑、長距離陸送コスト、港湾整備などを背景に海陸一貫輸送が発達した
長距離フェリー普及後 トレーラーやシャーシだけを海上輸送する無人航送が発達 出発港側と到着港側で、別のトラクターとドライバーを使う運行が可能になった
1980年代以降 物流政策にモーダルシフトの考え方が登場 鉄道や船舶への転換が、輸送効率や労働力不足への対策として検討されるようになった
1988年3月 青函トンネルが開業し、青函連絡船が運航を終了 鉄道貨物はトンネルへ移行したが、一般のトラックが通行できないため、自動車航送の役割は残った
1990年代以降 モーダルシフトが労働力不足対策や環境対策として重視される フェリーやRORO船を活用した海上輸送が、物流政策上も注目された
2024年4月 トラックドライバーにも時間外労働の上限規制が適用 年間の時間外労働が原則960時間以内となり、中継輸送やフェリー・RORO船の活用がさらに重要になった

※無人航送の導入・普及時期は、航路、船会社、利用運送事業者によって異なります。そのため、特定の年代に一律で区切らず、大きな歴史の流れとして整理しています。

戦後の日本では、鉄道と船が長距離貨物を運んでいた

戦後間もない日本で、長距離貨物輸送の中心となったのは鉄道と沿岸海運だった。現在のように全国へ高速道路が延びていたわけではなく、道路には未舗装区間も多かった。貨物自動車の性能や積載能力も、現在とは大きく異なっていた。

石炭、木材、農産物、工業製品などを大量に長距離輸送する場合、貨車や貨物船を使う方が合理的だったのである。

青函連絡船は貨車をそのまま船に載せていた

北海道と本州の間では、青函連絡船が重要な役割を担っていた。青函連絡船は旅客だけを運ぶ船ではなく、鉄道の貨車を船内へ直接積み込み、青森と函館の間を輸送する鉄道連絡船だった。

貨物を貨車から降ろして船へ積み替え、到着後に再び貨車へ戻す必要がない。荷物を載せた貨車ごと海を越える仕組みである。

荷物そのものを積み替えるのではなく、荷物を載せた輸送機器ごと船に載せる。これは、後に普及するトラックやトレーラーのフェリー輸送にも通じる考え方だった。
青函連絡船とトラックフェリーの関係

青函連絡船の方式を直接参考にして長距離カーフェリーが開発された、と断定できるわけではない。両者には「貨物を輸送機器ごと船に載せる」という共通構造がある、という理解が適切である。

高度経済成長でトラック輸送が急拡大した

1950年代後半から、日本は高度経済成長期に入った。工場が増え、都市人口が増加し、スーパーや小売店には全国各地から商品が運ばれるようになった。ここで存在感を高めたのがトラック輸送である。

鉄道貨物には、大量の荷物を長距離輸送できる強みがある。一方で、貨物駅から工場、店舗、倉庫などへ荷物を届けるには、別の輸送手段が必要だった。トラックなら、荷物を積んだ場所から納品先まで直接運べる。いわゆるドア・ツー・ドア輸送である。

道路整備が進み、貨物自動車の大型化と高性能化が進むにつれて、トラック輸送の比重は高まっていった。ただし、長距離を自走すれば、燃料費、通行料、車両の消耗、ドライバーの拘束時間、交通事故のリスクも増える。

! 日本の主要四島は海によって隔てられている

北海道・本州・四国・九州は海によって隔てられている。橋やトンネルが現在ほど整備されていなかった時代、貨物自動車が島を越えるには船が必要だった。そこで各地に、自動車を直接載せられるカーフェリーが広がっていった。

1968年、長距離大型カーフェリーが登場した

日本のフェリー物流史で大きな転換点となったのが、1968年8月である。阪九フェリーが、神戸・魚崎と北九州・小倉を結ぶ航路を開設した。これは、日本初の長距離大型カーフェリー航路とされている。

トラックで関西から九州まで輸送する場合、当時は高速道路網が十分に整っておらず、国道などを長時間走行する必要があった。そこで車両を船に載せ、瀬戸内海を通って北九州まで運ぶ方法が、大きな意味を持った。

船に載せている間、トラックのタイヤは回っていない。それでも貨物は目的地へ近づいていく。フェリーは単なる海上の橋ではなく、道路輸送の一部を海上へ置き換える幹線輸送手段になった。

長距離フェリーが発達した複数の要因

長距離フェリーの発展は、高速道路が未整備だったことだけで説明できない。トラック輸送量の増加、道路混雑、長距離陸送のコスト、車両と運転者をまとめて海上移動できる利便性、港湾施設の整備、船会社による航路開発など、複数の要因が重なっていた。

1970年代、長距離フェリーが全国へ広がった

阪九フェリーの航路開設後、北海道と本州、関東と北海道、関西と九州、本州と四国など、各地で長距離フェリー航路が開設された。

背景には、日本経済の成長に伴う貨物量の増加があった。工業製品、食品、日用品、建材、農水産物などの輸送需要が拡大し、都市間を結ぶトラック輸送も増加した。

一方、当時の高速道路網は現在ほど発達していなかった。1969年には東名高速道路が全線開通したが、全国の主要都市が高速道路で結ばれていたわけではない。

長距離フェリーは、道路輸送のすべてを置き換えたわけではない。荷主や物流拠点から港まではトラックで運び、長距離区間を船に任せ、到着港から再びトラックで配送する。道路と海上輸送を組み合わせる海陸一貫輸送が発達したのである。

港まで道路を走り、長距離区間を船で移動し、到着港から再び道路を走る。フェリーは道路の競争相手ではなく、道路輸送を補完する幹線輸送手段になった。

単車トラックとトレーラー連結車は何が違うのか

フェリー物流を理解するうえで重要なのが、単車トラックとトレーラー連結車の構造上の違いである。

単車トラック

一般的な単車トラックは、運転席やエンジンを備えた車体と荷台が一体になっている。キャブ、動力部分、荷台を通常の運行時に切り離して使うことはできない。

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トレーラー連結車

トレーラー連結車は、動力を持つ「トラクター」と、貨物を載せる被けん引車の「トレーラー」で構成される。両者を切り離せることが、フェリー輸送で大きな利点になる。

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比較項目 単車トラック トレーラー連結車
車両構造 キャブ・動力部・荷台が一体 トラクターとトレーラーを連結
切り離し 原則としてできない トラクターとトレーラーを切り離せる
無人航送 車両全体を航送することは可能だが、一般的な無人航送には適しにくい トレーラーだけを航送しやすい
到着港での運行 同じ車両を引き取って運行する 別のトラクターでけん引できる
「トラック」と「トレーラー」は単純な対立概念ではない

トラックは貨物自動車の広い総称として使われ、トラクターも事業用トラックの一種として整理される。「トレーラー」は本来、動力を持たない被けん引車側を指すため、厳密な比較では「単車トラック」と「トレーラー連結車」を区別する方が適切である。

有人航送と無人航送の違い

有人航送

有人航送は、トラックとドライバーが一緒にフェリーへ乗船する方式である。出発地から港まで運転したドライバーが船に乗り、到着港から再び同じ車両を運転する。

1 ドライバーが港まで運転
2 車両と一緒に乗船
3 到着港から同じ車両で運行

無人航送

無人航送では、出発港でトラクターとトレーラーを切り離し、貨物を積んだトレーラーやシャーシだけを船に載せる。出発港側のドライバーは乗船せず、到着港では別のトラクターとドライバーがトレーラーを引き取る。

1 出発港でトレーラーを切り離す
2 トレーラーやシャーシだけを海上輸送
3 到着港側のトラクターで配送
「無人航送」の無人とは何か

船自体が無人で運航するわけではない。乗船しないのはトラックドライバーであり、フェリーやRORO船には通常どおり船員が乗っている。

無人航送は長距離運行を分業できる

無人航送の利点は、トレーラーの切り離し構造を活用し、長距離輸送を出発地側と到着地側で分業できることにある。

例えば関東から九州へ貨物を運ぶ場合、関東側のドライバーがトレーラーを港まで運び、そこで切り離す。九州側では別のドライバーが到着したトレーラーを引き取り、納品先まで運ぶ。

この方式なら、1人のドライバーが関東から九州まで全区間を担当する必要がない。無人航送では、トレーラーを切り離した後、出発港側のトラクターとドライバーを別の輸送に振り向けることもできる。

無人航送が効率化につながるための実務条件
  • 十分な数のトレーラーやシャーシを保有していること
  • 出発港と到着港の双方でトラクターを確保できること
  • 船の発着時刻と荷役締切に合わせた運行計画があること
  • 港での受付時間や待機時間を管理できること
  • 到着港側の配送波動に対応できること
  • トレーラーの滞留や回送を抑えられること

無人航送を導入すれば、必ずトラクターやドライバーの稼働率が上がるわけではない。十分なトレーラー台数と、発着港双方の集配体制が整って初めて、効率化の効果を得やすくなる。

無人航送は、単に荷台を船で運ぶ仕組みではない。長距離運行を地域ごとに分割し、車両とドライバーの配置を組み替える運行方式である。

青函連絡船が終了しても、北海道―本州間の自動車航送は残った

1988年、青函トンネルが開業し、青函連絡船は同年3月に運航を終了した。鉄道貨物は、青函トンネルを通る津軽海峡線へ移行した。

しかし、青函トンネルは鉄道トンネルであり、一般のトラックが道路として通行することはできない。そのため、トラックやトレーラーを北海道と本州の間で移動させる自動車航送は、引き続きフェリーが担った。

北海道の農産物、乳製品、水産物、加工食品などを本州へ運び、本州側から日用品や工業製品を北海道へ運ぶ。こうした物流を、青森―函館航路や、北海道と東北・関東・北陸・関西を結ぶ長距離航路が支えてきた。

高速道路や橋が増えても長距離フェリーが残った理由

1970年代以降、日本の高速道路網は急速に発達した。本州と四国の間にも橋が架かり、1988年には瀬戸大橋、1998年には明石海峡大橋が開通した。

橋や高速道路が増えれば、フェリーは不要になるようにも見える。実際、短距離航路の中には、橋の開通によって利用が減少し、廃止されたものもある。

しかし、長距離フェリーは事情が異なる。海上輸送中はトラック側の走行燃料を使わず、タイヤやエンジンの走行に伴う消耗も抑えられる。ドライバーも、その区間を道路上で運転し続ける必要がない。

船舶の運航には燃料が必要

フェリー輸送は「燃料を使わない輸送」ではない。船舶の運航には別途燃料が必要であり、輸送全体のコストやCO₂排出量は、航路、船型、積載率、港までの陸送距離などによって異なる。

高速道路が港まで延びたことで、フェリーターミナルへのアクセスが改善し、道路と船を組み合わせやすくなった面もある。道路とフェリーは単純な競争関係ではなく、長距離物流では相互に補完する関係にある。

フェリー乗船時間はドライバーの休息にどう扱われるのか

有人航送では、ドライバーもトラックと一緒に乗船する。長距離フェリーには客室、浴室、レストランなどがあり、ドライバーは海上移動中に道路運転から離れることができる。

トラック運転者のフェリー乗船時間は、改善基準告示上、原則として休息期間として扱われる。ただし、乗船時間の長さや、下船後に確保すべき休息期間などには具体的なルールがある。

乗船時間のすべてを無条件に使えるわけではない

「フェリーに乗れば、その時間をすべて自由に労働時間対策へ使える」という理解は正確ではない。実際の運行では、乗船前後の荷役や待機、乗下船時間、下船後の休息確保などを含めて、改善基準告示に沿った運行計画を組む必要がある。

フェリーとRORO船は何が違うのか

物流の話では、フェリーと並んで「RORO船」という言葉が登場する。ROROは「Roll-on/Roll-off」の略で、貨物を積んだトラック、トレーラー、シャーシなどを、ランプウェイを通じて車輪の付いた状態で船内へ積み降ろす方式を指す。

トラックやトラクター付きの車両は自走できるが、通常のトレーラー単体には動力がない。そのため、動力を持たないトレーラーは、トラクターやターミナルトラクターなどの港湾用牽引車によって船内へ搬入される。

比較項目 フェリー RORO船
主な輸送対象 旅客、自動車、トラック、トレーラーなど トラック、トレーラー、シャーシなどの車両貨物
旅客設備 客室、浴室、レストランなどを備える 旅客設備は限定的で、貨物輸送が中心
有人航送 ドライバーが乗船する運用に対応しやすい 乗船できる人数や条件が限定されることがある
無人航送 トレーラーやシャーシの無人航送に対応 主要な利用方法の一つ
積み降ろし 車両や牽引車を使ってランプウェイから積み降ろす 車両や港湾用牽引車を使ってランプウェイから積み降ろす

フェリーとRORO船の大きな違いは、フェリーが旅客輸送を前提としているのに対し、RORO船は主として貨物輸送を目的としている点にある。物流会社は、航路、運航日、所要時間、運賃、ドライバーの乗船可否、港から納品先までの距離などを比較して使い分けている。

モーダルシフトは1980年代から物流政策に登場した

モーダルシフトとは、トラックだけで運んでいた幹線輸送の一部を、鉄道や船舶へ切り替える取り組みである。

日本の物流政策では、1980年代からモーダルシフトという考え方が示され、1990年代以降、労働力不足対策や環境対策として一段と重視されるようになった。

ただし、フェリーとトラックを組み合わせる輸送そのものは、モーダルシフトという政策用語が一般化する以前から存在していた。政策が新しい輸送方式を一から生み出したというより、既に行われていた海陸一貫輸送を、労働力や環境の観点から改めて位置付けた面がある。

2024年問題で海上輸送の重要性が高まった

2024年4月、トラックドライバーにも時間外労働の上限規制が適用された。年間の時間外労働は原則として960時間以内となり、長距離輸送の運行方法を見直す必要性が高まった。

そこで重要になったのが、中継輸送、共同輸送、鉄道貨物、フェリー、RORO船などを組み合わせる方法である。長距離区間を海上輸送へ切り替えれば、ドライバーが実際に運転する区間を短縮しやすくなる。

特に無人航送では、出発地側と到着地側でドライバーを分けられるため、1人のドライバーが全区間を担当しない運行体制をつくりやすい。

? フェリー輸送が向いているケース

長距離を定期的に輸送する貨物、出発地と到着地が主要港に比較的近い貨物、トレーラー単位でまとまった貨物などは、フェリー輸送と相性がよい。一方、短距離輸送、即日性が最優先される輸送、発着港から配送先までが遠い輸送では、陸送の方が合理的な場合もある。

フェリーは、ドライバーそのものを増やす手段ではない。法定労働時間を延ばす仕組みでもない。ドライバーの運転区間を短縮し、1人が全区間を担当しない体制を可能にすることで、限られた人員と労働時間を有効に使いやすくする輸送手段である。

海を渡っているのは、トラックではなく「時間」かもしれない

フェリー輸送を単に「道路の代わり」と考えると、その本質を見落とす。船に載せているのは、トラックやトレーラーだけではない。ドライバーが道路を運転しなくても、貨物が目的地へ近づいていく時間を確保している。

単車トラックが自走すれば、車両とドライバーは同時に移動し、同時に拘束される。一方、無人航送では、トレーラーを切り離し、貨物とドライバーの移動を分けることができる。

戦後、道路網が十分ではなかった時代には、海上輸送が道路輸送を補完した。高速道路が発達した後も、海上輸送は長距離運転の負担を抑える手段として残った。そして現在は、限られたドライバーと労働時間をより有効に使うための輸送手段として、改めて重要性を増している。

まとめ:フェリーは道路輸送と競争するだけの存在ではない

戦後の日本では、鉄道と沿岸海運が長距離貨物を担い、その後、道路整備や高度経済成長とともにトラック輸送が拡大した。

1968年に阪九フェリーが神戸・魚崎―北九州・小倉航路を開設すると、トラックを長距離区間ごと海上輸送する仕組みが本格化した。さらに、トラクターとトレーラーを切り離せる構造を生かし、トレーラーやシャーシだけを船で運ぶ無人航送が発達した。

フェリーは、トラックに代わる輸送手段ではない。港までの集荷と到着港からの配送をトラックが担い、長距離区間を船が担うことで、一つの物流網を形成している。

深夜の港で船に積み込まれるトレーラーには、貨物だけではなく、車両、ドライバー、労働時間をどう配分するかという物流事業者の運行設計も載っている。トラックは道路だけで日本の物流を支えてきたのではない。海上輸送と組み合わさることで、長距離物流を支えてきたのである。

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