はじめに
国土交通省は2025年6月、日本郵便株式会社(JP)が保有するトラック事業に対し、一般貨物自動車運送事業の許可取消という最重の行政処分を通知しました。これは郵便局が使用する約2,500台のトラックやバンの営業許可を取り消すもので、同社は今後5年間にわたり自社トラックを運行できなくなります。貨物自動車運送事業法に基づく許可取消処分は業界で最も重い措置であり、大手物流事業者への適用は極めて異例です。
本記事では、この処分の法的根拠と背景、問題の原因、行政対応の経緯、そして郵便・物流業界への影響と今後の展望について、運送業界関係者向けに専門的かつフォーマルな視点で解説します。
法的背景:貨物運送事業法の許可制と違反点数制度
日本の貨物自動車運送事業は、輸送の安全確保のために許可制が敷かれています。一般貨物自動車運送事業(いわゆる商用トラック運送業)を営むには、各地方運輸局から許可を取得しなければなりません。一方、軽自動車(軽トラック)による貨物運送は届出制であり、今回問題となった郵便局の小型集配車(約3.2万台)は許可対象外※として直ちに運行停止にはならないものの、国交省は個別の郵便局単位で軽車両の使用停止処分も検討しています。このように車両の種別・事業形態によって許可制の区分が異なり、行政処分の範囲も変わります。
貨物自動車運送事業法では、事業許可の維持条件として運行管理や安全対策の遵守が厳格に求められます。違反点数制度とは、法令違反に対する行政処分(例:一定期間の車両使用停止処分)に点数を付与し、累積点数に応じてさらに重い処分を科す仕組みです。処分日数10日車ごとに1点が付与され(10日未満は切り上げ)違反点数として累積されます。付与された違反点数は原則3年間消えず蓄積され、一定期間無違反で経過すると減免されるルールもあります。累積点数が一定の基準値を超えると事業停止処分の対象範囲が拡大し、81点に達すると許可取消の対象となります。換言すれば、一つの運輸局管内における累積違反点数が81点(行政処分日数801日車相当)以上に達した場合、直ちに事業許可の取消し処分が下されるのです。今回の日本郵便への措置はまさにこの累積違反点数による許可取消に該当するケースであり、法令上最も重い制裁措置となりました。許可取消後は貨物事業許可の再取得まで5年間の猶予期間が課され、当該事業者は直ちに同種事業へ復帰することができません。
※届出制の軽貨物運送事業にも安全確保義務は課せられており、今回国交省は軽車両についても立入監査を継続し、必要に応じて使用停止命令等の措置を検討するとしています。
問題の原因:日本郵便における点呼不備と記録改ざん
今回の処分に至った直接の原因は、日本郵便における運転者への点呼業務(乗務前後の安全確認)の大規模な不備・不正です。点呼とは、乗務前後に運転者の健康状態や酒気帯びの有無、疲労の度合いなどを確認する法定の業務であり、運送事業者には確実な実施が義務付けられています。しかし日本郵便では、一部郵便局においてこの法定点呼を数年間にわたり怠るケースが常態化していました。さらに悪質なことに、本来実施していない点呼を実施済みと虚偽記録するなど、記録改ざんまで行われていた事例も確認されています。
内部調査によれば、全国の集配郵便局3,188局中2,391局、実に全体の75%で点呼不備が発覚し、調査期間中の不適切な点呼の総数は約15万1,000件にも上りました。これほど多数の拠点で安全確認が蔑ろにされていた事実は、同社の安全管理体制に深刻な欠陥があったことを示しています。実際、点呼不備の横行により飲酒運転など重大違反も次々と発生していたことが報じられており(酩酊状態のまま配達業務に就いた例など)、安全軽視の風土が現場に深く染み付いていたといえるでしょう。

行政処分決定までの経緯
不適切点呼問題の発覚から許可取消処分の決定に至るまで、以下のような経緯を辿りました。
- 2025年1月下旬(発端) – 近畿支社管内の兵庫県・小野郵便局(東条旧集配センター)において、法定の乗務前後点呼がまったく実施されないまま郵便配達が行われていた事案が確認されました。長期間にわたる点呼怠慢の実態が露呈したことで、社内での問題発覚の契機となりました。
- 2024年度末~2025年3月(全国調査) – 上記の事案を受けて、日本郵便は自社の全国3,188集配郵便局を対象に点呼業務実施状況の緊急調査を実施しました。その結果、2,391局で何らかの点呼不備を確認し、延べ15万件超の不適切点呼が判明したと、2025年4月23日に調査結果を公表し国交省および総務省へ報告しました。同時に日本郵便は再発防止策を発表しましたが、この時点で判明した違反の広がりが極めて深刻なものでした。
- 2025年4月25日(特別監査の開始) – 国土交通省は事態を重く見て、貨物自動車運送事業法に基づく特別監査に着手しました。全国の地方運輸局・運輸支局による郵便局への立ち入り検査が開始され、まず安全リスクの高い大型車両(トラックやワンボックス車)を使用する郵便局を優先して監査が行われました。高輪郵便局(東京)をはじめ各地の郵便局で、点呼未実施や記録改ざんなど具体的な違反状況の精査が進められました。
- 2025年5月下旬(違反点数の累積判明) – 特別監査の過程で、関東運輸局管内の複数の郵便局において違反が続出し、累積違反点数が許可取消基準の81点を優に超える事態となったことが確認されました。点呼未実施の常態化と書類改ざんにより「輸送の安全の根幹を揺るがす」悪質な違反だと当局は判断し、許可取消処分を視野に入れるに至りました。
- 2025年6月5日(処分方針の通知) – 国交省は日本郵便に対し、一般貨物自動車運送事業許可の取消処分を行う方針を正式に通知しました。関東運輸局から同社へ行政手続法に基づく意見陳述の場である「聴聞」の開催通知がなされ、処分予定日までに弁明の機会が与えられました。許可取消は貨物事業法上最も重い処分であり、この通知時点でJPは「極めて深刻な事態と受け止めている。事業への影響を精査し、今後の具体的対応を速やかに検討する」とのコメントを発表しています。
- 2025年6月18日(聴聞の実施) – 関東運輸局において、日本郵便側から意見・弁明を聞く聴聞手続きが非公開で執り行われました。聴聞では違反事実の確認や情状酌量の余地などが審査されますが、今回の違反の重大性から処分方針に大きな変更はない見通しと報じられています。
- 2025年6月下旬(許可取消の正式決定) – 聴聞の内容等を踏まえ、国交省は6月中にも日本郵便の一般貨物運送事業許可取消を正式に決定する見込みです。処分が確定すれば、日本郵便は向こう5年間にわたり許可の再取得ができず、該当する約2,500台の事業用トラック・バンは車検証の事業用名義が抹消され営業運転が不可能になります。なお、許可取消処分確定後も、国交省は追加で郵便局ごとの車両使用停止命令(営業停止処分)を発出する可能性があり、違反のあった営業所単位でさらなる措置が講じられる可能性があります。
社会的影響:郵便・物流サービスへの懸念
今回の許可取消処分は、日本郵便のみならず広く物流業界・社会にも大きな影響を及ぼすとみられます。まず直接的な影響として、日本郵便が所有する約2,500台の中型・大型配送車両(いわゆる緑ナンバー車)が運行不能となるため、同社の宅配便「ゆうパック」や郵便物輸送に支障が出るのは避けられません。日本郵便は2023年度に年間約10億個の宅配便取扱個数(シェア約2割)を誇っており、これらの荷物の幹線輸送・集配業務を担っていた自社トラックが使えなくなる影響は計り知れません。同社は全国隅々に郵便ネットワークを持つため、その物流機能の低下は地域の郵便・物流サービス全体に波及しうる規模です。
日本郵便では当然ながら配送体制の再構築が急務となります。同社はコメントで「事業への影響を精査し、具体的対応を検討する」と述べていますが、その対応策としては外部の運送会社への委託強化や、グループ会社への業務移管が想定されています。実際、JPグループにはトラック輸送を手掛ける中核子会社「日本郵便輸送株式会社」(JPロジスティクス)がおり、幹線輸送業務の一部を担っています。また各地で提携する運送協力会社も存在します。許可取消期間中、これら子会社・協力会社に委託輸送を振り替えることで、ゆうパックや郵便物の輸送業務を継続することが見込まれています。ただし、業務委託による対応にはいくつか懸念もあります。まず、大量の荷物を他社に振り替えることで生じるコスト増やオペレーション調整の問題、委託先ドライバーの確保などの課題があります。また、子会社や委託先への業務移管が事実上の処分逃れになるのではないかという指摘もあります。つまり、親会社である日本郵便が自らはトラックを動かせなくとも、グループ内外の他社リソースで配送網を維持できてしまえば、許可取消の実効性(抑止効果)が薄れるのではないかという懸念です。この点については後述するように、行政当局も注意を払って監督していくものと考えられます。
一方、今回許可取消の対象外となった軽自動車(黒ナンバーの軽貨物車)による集配業務についても影響がゼロではありません。軽車両は許可不要とはいえ、点呼不備があった郵便局では安全管理上の問題があるため、個別車両の使用停止や乗務員の是正指導が行われる可能性があります。国交省は既に軽車両を含む全郵便局への監査を進めており、悪質な違反が認められた局には車両停止処分(一定期間、当該郵便局の車両すべての運行禁止)を科すことも検討中です。このため、一部地域では郵便物・ゆうパックの配達遅延や迂回輸送が発生するリスクもあります。日本郵便は処分期間中、郵便法上のユニバーサルサービス維持義務も負っており、代替手段を講じつつサービス維持を図る必要がありますが、その遂行には細心の注意と調整が求められるでしょう。
今後の展望:5年間の再許可禁止と業界への波及
日本郵便は許可取消処分が正式決定すると、少なくとも5年間は自社で一般貨物運送事業の許可を再取得できません。この「クール期間」にあたる5年間、同社は自前トラックによる宅配・輸送業務を断念せざるを得ず、前述のように子会社活用や外部委託による暫定対応が続くとみられます。これは同社にとって物流戦略の大幅な見直しを迫られる期間となります。5年後に再許可申請を行う場合でも、国交省の厳格な審査をクリアし、安全管理体制が抜本的に改善されたと認められなければ許可は下りないでしょう。その意味で、この5年間は日本郵便にとってガバナンス改革と信頼回復の猶予期間とも位置付けられます。同社は既に再発防止策を公表し、点呼時のアルコールチェック徹底や運行管理者教育の強化、ITを活用した点呼記録管理の導入などに着手しています。しかし前例のない規模の不祥事で失った信用を取り戻すには、現場レベルでの意識改革と継続的な検証・改善が欠かせません。
業界全体への波及効果も見逃せません。今回、国主導で大手事業者の許可が取り消される事態となったことで、他の運送会社にも緊張感が走っています。これまで「お上(国交省)は大手には甘いのではないか」との見方も一部にありましたが、実際にはルール違反が重大かつ組織的であれば規模を問わず断固たる処分が下ることが示されました。運送業界において、安全管理や法令遵守の徹底が改めて強調される契機となりそうです。他の物流各社も今回の件を教訓に、内部監査の強化や運行管理の見直しを進めるでしょう。国土交通省も業界全体に対し、点呼の適正実施や飲酒運転防止策の再確認を促す通達を出す可能性があります。併せて、慢性的なドライバー不足や長時間労働の是正(いわゆる「2024年問題」)に向けた取り組みとも相まって、安全と効率を両立する運行管理の在り方が業界共通の課題として一層クローズアップされるでしょう。
また、今回注目されるのは**「処分逃れ」への対策です。行政処分の効果を減殺しようとする企業の動きをどう封じるかは、監督官庁にとって重要なポイントです。貨物運送事業の違反点数制度では、違反を犯した事業者が会社分割や合併によって新会社に事業を承継した場合、違反点数は新会社に引き継がれると定められています。これは、形だけ会社を替えて過去の違反リセットを図るような抜け道を防ぐための規定です。同様に、許可取消処分を受けた事業者が名義を変えてすぐに許可を取り直すことは法律上できないよう、前述の通り5年間の再許可禁止期間が設けられています。日本郵便の場合、グループ内に別法人の運送会社(日本郵便輸送)が存在するため、「親会社の処分対象業務を子会社へ付け替えて実質的に営業を継続するのではないか」という見方もあります。しかし、仮に短期的な代替措置として子会社リソースを活用するとしても、国交省は日本郵便グループ全体の安全管理に目を光らせるでしょう。今後は、処分の実効性を高めるための制度運用(例えば処分対象事業者と密接な関係にある関連会社への監査強化等)にも注目が集まります。業界内では「違反を繰り返せばいずれ免許停止・取消に至る」という危機感が広まりつつあり、企業ぐるみで法規を軽視すれば事業存続自体が危うくなることが改めて示された形です。
おわりに
今回の日本郵便に対する事業許可取消処分は、物流業界に衝撃を与える出来事となりました。公共性の高い郵便事業者への厳正な処分は、「安全は何にも代えがたい最優先事項」であることを改めて浮き彫りにしています。運送業に携わるドライバーや経営者の皆様にとっても他人事ではなく、自社の点呼体制や法令遵守状況を点検し直す契機と言えるでしょう。国土交通省の幹部が「輸送の安全の根幹を揺るがせた」と指摘したように、安全管理をおろそかにすることは事業の根幹を失うリスクに直結します。許可制度と違反点数制度の下、コンプライアンスを徹底することが持続的な事業継続の前提条件です。今回のケースから得られる教訓を業界全体で共有し、輸送の安全文化を一層強固なものとしていくことが求められています。